とれたての魚を味わわせてくれた藤森光弘さんが亡くなりました

NPO法人能島の里
理事長 村上 利雄

  
 去る平成28年7月4日。漁師料理の達人だった藤森光弘氏が、68歳の若さで亡くなりました。この悲報をうけ、すぐさま皆様方にお知らせするべきだと思いました。しかし、ご家族が新聞掲載をされておらず、また、身内での葬儀を考えられていたようなので、皆様方へのご連絡を控えた次第です。

 光弘氏は妻の弘美さんを亡くされた後、高齢のご両親二人を5年間介護して見送りました。光弘氏が病に倒れ、亡くなったのはその直後でした。自分の体を蝕む病魔よりも、ご両親の介護を優先させたのです。妻に先だたれた男の悲哀と世間は思うかもしれませんが、私は、光弘氏はたいへん男らしく生き、生涯を終えられたと考えています。

 藤森光弘氏は、漁師仕事の傍ら町づくりに協力し、宮窪町の発展に尽くしました。長年にわたって町づくりの仲間たちと宮窪の未来を語りあい、宮窪の良さを追求してきた一人でありました。
 漁師だからこそ知る宮窪瀬戸の魅力を仲間に教えるため、今では漁獲が減少して行われなくなってしまったママカリ釣りや、夜の海面にあてた光に群がるイカナゴをすくうイカナゴ漁、そして海底に生息するエビをとる底曳き網漁などを、私たちを自分の船に乗せて見せ、とれたての新鮮な魚の美味しさを教えてくれました。
 なかでも、最高に感動したのがサヨリ漁の光景です。闇夜の浅瀬に船で近づき、サーチライトを照らすと、サヨリが光に驚き、「ザ〜」と音を立て空中を群れて飛んでいきました。その様はさながら魚と光の競演ショーでした。こうした演出ができたのは、長年サヨリ漁を行い、サヨリという魚の習性を知り抜いた光弘氏だからこそです。この光景は宮窪町の宝になる、そう思いました。
 また、当会ではカレイ山展望公園を観光地化するために遠見茶屋やミニ市場を開設しましたが、趣旨に賛同した藤森光弘・弘美夫妻は、エビのかき揚げ、キスやタコの天ぷら、エビ丼等をミニ市場で提供して、カレイ山展望公園での活動を大いに盛り上げてくれました。残念ながら、妻の弘美さんを亡くしたために営業を続けることができなくなりましたが、その後も、水軍レースのスタッフの慰労会(花火大会)で新鮮なエビを提供してくれるなど、当会への協力を惜しみませんでした。
 光弘氏はふだんから美味しいものを人に食べさせることが好きで、アナゴとハモ、タイとヒラメ等の食べ比べや、料理法の違いによる同じ魚の味比べなど、自分でとった魚を惜しげもなくみなに食べさせ、旬の魚の味を教えてくれました。
 こうした漁師料理の腕が見込まれて、光弘氏は私たちの活動に欠くことのできない存在となりました。25年前、宮窪町に来島海賊の末裔の玖珠町住民200人が訪れた際に、宮窪町民を含めて360人分にもおよぶ交流会のごちそうを、光弘氏が中心となって用意したことは、いまでも語り草になっています。その後も、当会の前身ともいえる水軍ふるさと会が主催した水軍レースの前夜祭に、賄い役の中心となってボランティアで参加してくれました。
 光弘氏は石彫でも天性の才能を発揮しました。平成4年に、石文化運動公園建設に伴って誕生した石彫サークルでは、初代会員として、海の生き物を題材とした多くの作品を制作しました。とくにヒラメをかたどった大皿を得意とし、求めに応じて30点以上も制作されました。石の皿の上に旬の魚の刺身を盛りつけた「活き作り」は、食べるのが惜しいほどのアート作品となりました。
 光弘氏の石彫作品は、宮窪町石文化運動公園上部駐車場入り口にタコとヒラメが、伯方S・Cパークにクロクチが、旧宮窪町役場玄関にカサゴが展示されています。また石文化運動公園内「食房ふれあい」に石のヒラメ皿が置かれています。

 私個人としては、光弘氏とは半世紀に余る付き合いでした。人の悪口は言わない主義を通し、酒を愛し、つまみに合う料理を追求しました。
 ともに活動し、悩み、未来を夢見た仲間の死は、言葉では表現できません。只々、合掌するのみであり、天より今後の私たちの活動を見守り、導いてほしいと願っています。