能島の桜伐採についての意見交換会(2/13予定)


能島のサクラ(1990年/大島石協同組合発行絵はがき




能島の花見遠望(2010年春)


久留島通則氏を囲む能島の花見(2009年春)


能島頂上で語らう宮尾氏(左)と久留島氏

  宮窪地域が誇る桜の名所といえば、ソメイヨシノの能島とヤマザクラの高取山でしょうか。その能島のサクラが、ひょっとすると伐採するかも知れないというニュースが飛び込んできました。まだ確定ではありませんが、現状の課題を踏まえて、今後どうするのかについて、文化財保護行政と地域住民との意見交換会の場が、13日午前10時から12時、宮窪公民館1F和室にて開催されることになりました(チラシ参照)
  これまで能島城跡では、史跡保存の観点から発掘調査が続けられてきましたが、その過程で、ソメイヨシノの根が遺物や遺跡を破壊しているという現状が明らかとなりました。これに対して、当HPの過去の記事では将来的に伐採が必要≠ニの認識を筆者の個人的な意見として示したわけですが、これは必ずしも住民感情とは一致するものではありません。やはり能島のサクラは、宮窪住民にとっては癒しや誇りの存在として受けとめられており、意見交換会の場をもって、どういう方向性で遺跡保護をはかっていくのかを議論する必要性があります。
  筆者の義母は昭和23(1948)年・宮窪生まれですが、能島といえば、海賊の城跡というよりも、サクラの島という印象が強いようです。満開に咲き誇る能島のサクラが、宮窪住民にとっては幼少時代からの思い出のようです。では、いつから植樹を行ったのか? これは、昭和46(1971)年4月15日発行の「官報みやくぼ」第131号に由来を示したコラムが掲載されています。それによると、昭和6(1931)年3月に苗木を植えたのが始まりで、町としては将来の観光を視野に入れた取り組みであったようです。ただ、戦時下をはさんで、観光開発からしばらく遠ざかった時期もあったようですが、昭和23年4月に花見用の渡船を運航したところ(商業同志会主催)、住民に大いに喜ばれたようです。これが、毎年春に2日間運航している能島の花見≠フルーツとなります。
  昭和37(1962)年4月8日付の愛媛新聞記事によると、観光ガイド【国立公園能島城跡観桜観潮花まつり】(8−15日)の見出しで、「越智郡宮窪町商工会が行う。大島−伯方島の中央に浮かぶ能島は村上水軍の要塞跡で、頂上のサクラ百本が美しく島の周囲に渦巻く潮流もすばらしい。同商工会ではことしから花まつりをにぎやかに行なうことになり、ポスターをくばって花見客の誘致につとめているが、期間中は伯方町尾浦−宮窪間の定期渡海船を一時間おきに運航するほか、花見客の多い日には臨時船も就航させる方針。」とあります。その時代ごとで、運営の手法に変化がうかがえますね。
  筆者の親友で、城郭研究者の宮尾克彦氏は、末期がんの診断を受けて以降、約2年生き抜きました(2015年正月他界)。その彼が望んだことは、「死ぬ前にもう一度、能島のサクラが見たい!」というものでした。そこで、親交のあった来島海賊頭領直系子孫の久留島通則氏と県内在住の歴史仲間らが現地に結集し、一緒に花見をした思い出があります。結局、必死の延命で2度も仲間と花見をすることができ、本人はとても満足そうでした。宮尾氏は、「サクラには、がんの痛みを和らげる効果がある」と漏らしていましたが、最後の花見は肌寒い小雨まじりのなか、本人は杖をつきながら頂上まで登りきりました。このことは、筆者にとっても、生涯忘れることのできない思い出となるでしょう。
  当日の意見交換会が、一体どのような展開になるのかは分かりませんが、史跡保護と観光振興の両方の側面から、進展ある話し合いになることを願っています。  


広報担当 大成経凡