「来島海峡の旧版海図」展(〜6/30)


企画展開催中(^O^)/




船折瀬戸(有津瀬戸)


天然シャワーを浴びる水軍小早船

 現在、村上水軍博物館で開催中の企画展「来島海峡の旧版海図」展(観覧無料)に行きました。私はかつて、わずか1年ほどですが内航船員の甲板当直部員だったことがあり、海図には随分お世話になりました。五色塚古墳(明石海峡)や相の谷古墳(来島海峡)といった、航路をにらむように立地する前方後円墳に興味を持ったのもその頃からでした。
 今回展示されている海図は、来島海峡周辺や瀬戸内海広域に関するものを、時代の変遷が分かるよう、年代ごとに取りそろえています。私がとりわけ興味を持ったのは104【来島海峡及び付近】の海図で、大正8年・昭和4年・昭和47年発行の3種類から、ある地名の変遷に気づきました。以前から気になっていた船折瀬戸≠フ地名ですが、大正8年と昭和4年の海図には有津瀬戸=iあろうづせと)と表記されていたのです。鵜島住民が今もその地名を使っているのには、やはり古くからそう呼ばれてきたからだと感じました。これが昭和47年になると、有津(船折)瀬戸≠フ表記になっていました。しだいに、船折瀬戸の呼び方に変わっていったようです。現在は船折瀬戸≠ナ表記され、有津瀬戸が同海図から消えています。
 同海域には舟折岩(ふなおれいわ)という暗礁があり、座礁の危険を知らせるため、この岩については古くから海図にしっかり書き込まれています。ここに舟折岩灯標が初点灯するのは、太平洋戦争末期の昭和20年4月1日のことで、同時に鶏小島(にわとりこしま)灯台と六ツ瀬(むつせ)灯標も初点灯しています。陸上の観光案内板や観光マップなどには、船折瀬戸にふなおりせと≠フふりがなを振っていますが、海図(航海者)の視点からはふなおれせと≠ニ読ませるのがベターではないかと感じています。
 川のように流れる潮流を、あたかも【和をへしるほどの激しさがある】と表現した地名ですが、一方だけを人目につく場所に記していると、片方が誤りのように感じてしまいます。どちらが正解とは断言できませんが、日本有数の海事都市・今治市であるならば、海の視点も大切にしたいものです。本展は6月30日までの開催となっています。海図情報は、人それぞれの楽しみ方があると思いますので、カレイ山観光と併せて本展にご来場頂けると幸いです。    


広報担当 大成経凡