宮窪に集え、来島水軍ファン(^O^)/(〜12/16)


企画展示室の光景




没後400年の来島康親

  現在、村上水軍博物館において、特別企画展「海の来嶋 山の久留嶋」を開催中です。史上初!!久留島家文書を一般公開中です(^O^)/。海の来嶋≠ニは、能島村上氏同様、戦国時代末期に「日本最大の海賊」と称された来島村上氏(来島海賊衆)のことです。頭領は来島城主を務め、村上通康は伊予戦国大名・河野氏の後継者候補にもなった実力者です。その子・通総の時、河野氏・毛利氏との同盟関係を破棄(?)し、織田陣営へなびくことで、両氏と高縄半島西部地域において激しい戦火を交えています。
 羽柴秀吉が(信長後継者として)天下人になると、河野・毛利連合軍との戦闘で窮地に陥っていた通総は、勢力を挽回(^O^)/。九州攻め・小田原攻めなどを経て、豊臣大名の地位を確保します。今回の企画展では、織田陣営になびくきっかけとなった書状や豊臣政権から小田原(北条氏)攻めを言い渡される書状なども展示されています。一番の目玉は、朝鮮出兵の動員令や同出兵における来島通総・通幸兄弟の戦死を伝える書状ではないでしょうか。これらはいわゆる朱印状で、大名クラスの戦死を伝えるものは極めて貴重です。また、チラシの表紙に写っている具足下着(展示中)は、同出兵の戦功により秀吉から拝領したものと伝えられています(末廣神社所蔵)。さらに、その戦功で通総は従五位下出雲守に任官し、秀吉から豊臣姓を授かっています。
 関ヶ原合戦の後、西軍に味方したことで一時流浪の身にあった来島康親(通総の子)でしたが、翌年、豊後森1万4千石の大名へと返り咲きます。陣屋跡は、現在の大分県玖珠(くす)町森地区の三島公園がそうです。豊後森は、周囲をメサ地形の山々に囲まれた盆地で、海からは遠く離れた場所でした。こちらには、来島氏入封前後に整備・改修された角牟礼(つのむれ)城の石垣遺構や、江戸時代後期に藩主らが整備した三島神社(末廣神社)・眺望書院(栖鳳楼/せいほうろう)・日本庭園(久留島庭園)などが残されています。角牟礼城跡は国史跡、眺望書院は県文化財、庭園は国名勝に指定されています。
 今回展示されている当主4名(通康・通総・康親・通春)の肖像画は、藩主菩提寺・安楽寺が所蔵するものです。なお、豊後森2代藩主・通春の時、姓を来島(来嶋)から久留島(久留嶋)へと改めています。今年は康親没後400年にあたり、村上水軍博物館の尽力でこうした催しが開かれることを、クルシマ友の会・代表の私は大変嬉しく思います。11月10日には記念シンポジウムも開催されますので、来島氏ファンを自称する方はなおのこと、多くの方々に同展・シンポへ足をお運び頂けると幸いです。
  さて、カレイ山の遠見茶屋は11月末を最後にシーズン・オフとなります。どうぞこの機会に、村上水軍博物館の企画展と合わせて、お楽しみ頂けると幸いです。なお、石文化体験ツアーにはシーズン・オフはありません。どうかよろしくお願い申し上げます。   


広報担当 大成経凡